いらっしゃいませ

気ままな旅のつれづれにこのブログサイトの命名者は、アコーディオン奏者のらくさんです、旅行記を備忘のためとて書きとめていたものが、彼女の眼に触れ 勧められるがままにこのブログを書き始めることになりました。
 人生は旅である、旅もまた人生だ。遊行期にあって真の自由を得たい、行きたいところ、知りたいこと、やりたい事が沢山ある、出来そうな気はするが不安もある。健康であること、多趣味なこと、好奇心はまだあることを頼りに楽しんで生き、それらをちょっと書き留めておきたい。
現役時代、それは32年間のM造船、5年間の高専、7年間の私大(いずれも定年を待たずに希望退職を許してもらったことに感謝)での生活で比較的恵まれたものであった、しかしそれでも現在の精神的な自由を得た生活から見ると、娑婆の制約された生活だったと、懐かしくも、愛おしくもあり、殊勝であったと思う。そのような心境から、次の1句をひねってラジオ川柳番組に投句しました。
 「もうえーわ 自由 広がる 蚊帳の外」
よく出来た、入選するのではと内心ほくそ笑んでいたのですが、見事落選でした、補足ですが私は丑年です。
私の趣味は、このほか、旅行、ハイキング、MTB、畑仕事、囲碁、読書、絵画などです。PC点訳のボランティア(結構繁盛しています)もしています。
 精神的な自由を放任すると、自己中になりがちな事は経験済みです、引力を感じます。これを牽制する尺度として私は仏教の教えを持ちたいと思っています。それをもっと知りたいとあせるのですが、老人力が足をぴっぱって牛歩状態のこの頃です。
よろしくお付き合いいただくと、ありがたいです。    
 old-TAK(岩城 嵩、いわき たかし)
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記事のタイトルは次のようなものです。
これをクリックするとその内容を示すページに飛びます。
(いたずらが多いため、コメントを受付けを閉じています。iwaki@mx8.kct.ne.jpへ メールでいただければ幸甚です。)

シベリア鉄道9300km
アメリカ西海岸ぶらり旅
シベリア鎮魂画家 香月泰男の作品を訪ねて
漫筆  川柳、エッセーを集めました
徒歩ほの四国遍路1200km 
ルルド・ヌベールへの巡礼の旅・・
ラッキーな北国周遊ドライブ紀行 
西国33ヶ所順礼記  
スイス旅行記  
小豆島88ヶ所遍路 
児島八十八ヶ所 -サイクリング遍路 
異教徒の住む家庭のつぶやき
アメリカ巡礼紀行”
右脳の働きとは何ぞや”
我輩は犬である ”
2013年1~12月作品集
2014年1~12月作品集
2015年1~12月作品集
2016年1~12月作品集 
2017年1~12月作品集 NEW 2017-09-25

  

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# by houro-ki | 2018-12-01 11:57 | はじめまして | Trackback  

世相拝見--20170925

世相拝見--20170925
 突然、世相があわただしくなってきた。今日、18.00NHKを通じて、安倍首相が衆議院解散を宣言した。
世界中のあちこちでも、難民、テロ、内戦、政情不安などの日常的な騒動の他に、北朝鮮の核兵器、ミサイル実験で議論が沸騰している。
毎日新聞9月14日の紙面によると、ロシアのラブロフ外相が国連本部で記者会見して、トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の威嚇の応酬を「幼稚園児の喧嘩」と批判したと報じている。 誠にエスプリに富んだ発言に拍手を送りたい。が、残念なことに、安倍首相はトランプ氏の誤った姿勢と下品な言葉の隅々までに絶大なる賛意を表して、多くの国民を落胆させている。
私も上記の批判に敬意を表し、一句献上したい。  「ヤレヤレと 園児の喧嘩 はやすバカ」
 ついでで恐縮ですが、毎日新聞の愛読者として、朝刊の「数独」を楽しんでいる。そこで一句。 「数独で 朝からうれしや 達成感」
柳名:玉の岩(ギョクノガン)

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# by houro-ki | 2017-09-25 22:51 | 自選エッセイ集 | Trackback  

点訳ボランティア活動紹介

点訳ボランティア活動の場の一つである「ダミアンの輪」(カトリック広島教区の活動の一つ、盲人視覚障碍の信者対象)に協力してきた。そのニュースレターに投稿した部分を以下に転載する。


「ダミアンの輪」10周年にあたり ―― 点訳チームから

点訳チーム全般の活動は、昨年度のニュースレターに記載されていますので、今回は、点訳チーム所属の異教徒の男性高齢者5人組の活動に焦点を合わせて報告します。

2006年、退職後、何か社会貢献をしたいと模索していたとき、岡山教会の機関誌「いぶき」に「ダミアンの輪」設立の記事を見つけたことから始まります。 点訳の知識ゼロ状態で、はなはだ心細いグループでしたが、先生役の岡山教会の井上ゆり子さんはじめ、ベテランの女性信者の方々の巧みで熱心なご指導のお蔭で、迷惑をかけながらも11年も続いています。点訳技術は今も幼稚なレベルですが、口だけは達者になり楽しんでいます。

この老男グループを「36点会」と名付け、地域の視覚障碍者との交流活動もしてきました。「ダミアンの輪」と共同で開催した活動のいくつかを簡単に紹介します。

(1) 鳥取県との県境にある岡山県立森林公園の散策  標高約1000m、甲子園の90倍の面積です。盲導犬も加わり、遊歩道を数kmほど歩きました。紅葉の景観を肌と匂いと耳で感じました。盲人であるNさんが「秋色だ」と言われたことが印象に残っています。道中、少し危ない所で、気持ちを引き締め通過したこともありました。

(2) ドイツの森見学  岡山県赤磐市にある、ドイツの食・文化・自然と遊ぶ、のどかな農村を体験できる公園です。ワインの試飲コーナーを訪ね、ヒツジやヤギと遊び、秋の花畑を楽しみました。

(3) 矢掛宿場の屋敷と町の見学。少し離れた水車の里では、うどん打ちの体験をしました。矢掛町の補助制度を利用して、矢掛駅発着の観光バスを出していただきました。

この他に、吉備路散策、後楽園散策、深山公園散策、倉敷川舟遊び、大原美術館見学、指点字による会議参加支援、カラオケと飲み会、「日本の歌101」他多数の点訳版の作成、などの交流をしてきました。


追記:上記のカトリック教会に関係する活動の他に、玉野市や岡山日赤の身障者関係活動をしています。大きい仕事の例として、「法華経の世界、400ページ(点字にすると約3倍になる)」の点訳依頼があります。完成するまで約1年半を要します。難しくはないのですが、集中力が必要です。歳を重ねるごとに、上達するよりも能力劣化することの方が大きいと実感します。ソロソロ卒業させて貰おうと提案するのですが、ミスがあってもOKと寛大な言葉に甘えているこの頃です。

もうすぐ80歳。生かされている日々ですが、その意義を御仏に求めても「自分で考えろ」と無情な回答が帰ってくるだけです。他利を実践せよ、それが自利として帰ってくる(情けは人の為ならず・・・と同義ですね)とかとも言われます。

36点会では年2回飲み会をしていますが、話題の結論として、点訳で随分時間を割いているいるけれど、異口同音に「点訳をやっていてよかった」と感じているようです。




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# by houro-ki | 2017-06-17 10:56 | 自選エッセイ集 | Trackback  

感動力は残っているか

  感動力は残っているか
 “Ever! Beethoven(ベートーヴェンよ 永遠なれ!)”は2017-03-25の岡山フィルハーモニック管弦楽団定期演奏会のキャッチコピーである。演目は交響曲5番「運命」などである。
 そのパンフレットを手にしたのは昨年末であったが、同封の他の案内とは異なるインパクトを感じた。それは何か、どうしてか、といつもの妄想に耽っていると、私にはそれは「Ever? Beethoven(今もベートーヴェンが続いていますか)」となる。
 もう少し掘り下げて表明すれば、「戦後の予測不可能な混乱期の中で、それでもその苦悩から一縷の明るい未来への道を模索していた時代。そこで、あの名曲を初めて聴き身震いし、鳥肌が立った。あの衝撃的感動! 60年後の今、ベートーヴェンを聴いて、果たしてあの感動を噴出させた反応力が、この老体に、残存しているのだろうか?」と言う設問であった。

 60余年前、私は和歌山市の星林高等学校3年生であった。風呂敷包みに高下駄、よれよれの学帽に詰襟学生服のユニホームのバンカラ男子である。
 戦後の無秩序で貧困からの脱出が共通課題の社会情勢の中で受験勉強を課せられた重苦しい日々であった。当時の同年代の大学志望者は5%程度で、後の受験戦争時代ほど深刻な状況ではなかったが、バラ色の青春時代をグレーに染めて、心は不安と希望のあいだを揺れ動いていた。
 私の家は音楽とは無縁の貧しいけれど平均レベルの生活であった。しかし、友人のM君の家は裕福で、座敷には大型のスピーカーボックスと、真空管式アンプと、手動ばね巻式のレコードプレイヤーが置かれていた。真夏の昼下がり、うだるような暑さの中、勉強に飽いた私は、日頃行き来していたM君宅に自転車で遊びに行った。裏山は西国33ヶ寺の2番札所の紀三井寺である。普段は山を散策し、和歌の浦の景色を見ながら、他愛のない話題に花を咲かせるのが常であった。
 が、その日は元気もなく、縁側で冷たいものをいただきながら談笑していた。座敷に鎮座しているレコードプレイヤーに話題が移り、クラッシク音楽をちゃんと聴く初めての経験をすることになった。
 何故「運命」だったかは忘れたが、この大型な音響装置で、レコードの回転が落ちてくるとクランクを回し、針をレコード盤面に落とすテクニックを学びながら、夢中になって強烈な名曲の流れに身を任せて酔ってしまった。それから、何日かこの名曲を聴くためだけにM君宅に通った。

 解説書の言を借りれば、『第一楽章が「運命の来訪への怯え」ならば、第四楽章は「運命に打ち勝った人を讃えよ」という意味』とある。この交響曲は、あの時代の青年の心理背景に重なるところ、無きにしも非ずである。

 前述の「運命」はH.シェンベルガーが指揮する演奏であった。あのインパクトを今も感受できる能力が果たしてあるのかと不安な気分でいた。ところがそれは余計なお世話とばかりに、彼の胸を、激しく突き上げ、揺さぶり、身を鳥肌立たせた。それに共感して、涙もろくなった老人の目を何度となく曇らせたのである。
 第4楽章の最後では、主題のテンポが次第に早くなり、繰り返されて心地よい印象を残しながら終演へと導かれて行った。続けて聴衆からの熱狂的な拍手とブラボー喝采のカーテンコール、指揮者、演奏者、聴衆が一体となって歓喜の渦が沸き上がっていた。
 ひるがえって、私の心の動きを内観すると、感動と言う反応力が、この老体に確かに残存していた。
 ああ、今夕の晩酌は大吟醸にしよう。
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# by houro-ki | 2017-04-07 12:00 | 自選エッセイ集 | Trackback  

涅槃像を拝観する

  涅槃像を拝観する
 ブッタガヤで悟りを開いた後、釈尊はサルナートでの説法を手始めに45年間、インド国内の多くの地で伝道の旅をしてきた。最後の旅として故郷ルンビニに向う途中、クシナガルの地のサラ双樹の間に身を横たえられた。頭を北に顔を西に向け涅槃に入り、再起することはなかった。
 直径10mあまりの大理石製の円筒を寝かしたような建物が涅槃堂どうです。b0156451_232758.jpg
 全長6mの金箔のお姿には、信者から寄進された着飾った蒲団がかけらている。周囲には回廊が巡り、多くの信徒が静かに瞑想しています。私はここでも30分程の瞑想時間を団体行動から外れてさせていただいた。



 中村元氏の「ブッタ最後の旅p168(岩波書店)」によると、涅槃の前に、

 尊師は修行者たちに告げた。――「さあ、修業者達よ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去る。怠ることなく修行を完成なさい』と。」
 この短い一文に対して1ページにわたる注釈がついている。同p332では、仏教の要訣は、無常をさとることと、修行に精励することとの二つに尽きることになる。無常の教えは、釈尊がおいて死んだという事実によって何よりも生々しく印象付けられる。

 ここで私案を述べるのは、おこがましい限りであるが、この「無常」の意味の深さもよく味あわなければならないところですが、「無常」=「多次元で、かつ、dynamicな現象」と言う意味を説明する言葉:例えば、数学的には、matrix手法とコンピュータ活用、スカラー量、ベクトル量、テンソル量、 力学的には、速度、加速度、周期、固有値、安定、不安定、共振、発散、収斂等々に関連づけて論理的に、あるいはAI的、確率的に考察すると、今まで人類が蓄積してきた科学的知見を踏まえた、現代人にもっとわかりやすくなるのではなかろうかと、得意の妄想世界で考えようとするのだが、残念ながら、私の能力をはるかに超えた世界であきらめるしかない。

 翻って、今回の「ツアー:インド、仏陀の道」を振り返ると、感動した事柄も多々ありそれは満天の星々のごとく関連なく輝いている。それぞれに深い意味を持っていると感じるのだけれど、深く追求することは泥沼に足を入れるようで収拾がつかない予感がする。
    よって、ここで一区切りとする。




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# by houro-ki | 2017-03-15 21:54 | 自選エッセイ集 | Trackback  

王舎城、霊鷲山を訪ねて

  王舎城、霊鷲山を訪ねて
 釈尊はラージギール(王舎城)を仏教伝道の中心地として、生涯にわたって長く滞在した地である。小高い山がギシャクツセン(霊鷲山:リョウジュセン)は仏典にもしばしば登場し、法華経や観無量寿経の物語は有名である。初めて寄進された仏教団体への住居、寺院である竹林精舎は布教、伝道の場所であった。
 中村元氏の観無量寿経(岩波書店浄土三部経下巻p43)の書き出し部分で、「イダイケ夫人(ブニン)と王舎城の悲劇」に関わる法話をされている。「あるとき、ギシャクツセンの中にいまして、大比丘衆1250人、菩薩3万2千人の前で」話された。 
 その内容を俗っぽくかいつまんで言うと、「獄中に居る父王のため、母王が忍んで食事を提供している、餓死するはずが生き延びていることを知ったアジャッセ王子は自らの手で父王を暗殺する。母王は釈尊に説法を懇願し、苦悩から解放される方法を伝授された。また、後年アジャッセをも改心させた」 で、極悪人(煩悩に苦しむ衆生、自分に当てはめると分かりやすい)でさえも浄土へ導く方法を説かれたことに深い意味のある法話である。b0156451_21211251.jpg

 「霊鷲山」も印象深いものでした。午前5時半にホテルを出発したバスは麓の駐車場に着いた時も、まだ薄暗く懐中電灯で足元を照らす必要があった。30分程山道を歩き、朝霧が立ち込める夜明け前の山頂に到着した。 
 すでに多くの巡拝者が居て、煉瓦で囲まれた「ブッタの座」付近は満席状態であった。浅い霧に満たされた盆地の先に見える五山の一角が白みかける空に輪郭をあらわにしながら、太陽が徐々に昇ってきた。釈尊もこの光景の中で瞑想したのだろうかと、その真似事を神妙に試みた。 
 東側の狭い岩場に座禅を組み、日の出を礼拝した。(写真参照)
 大勢のサンガに臨機応変なる法話をしたと言われている山腹の洞窟(とても大勢収容できないが、こんなことに拘ってはいけない)や、麓に広がる大地には、竹林精舎の址と言う公園、牢獄の跡地などを観た。
 2500年前の情景があまりにも細かくトレースできることに、違和感も大いにある。が、それに拘らずに、そうとしよう、ハートで感じる「観想」のための舞台なのだから。
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# by houro-ki | 2017-03-12 21:24 | 自選エッセイ集 | Trackback  

付録:仏教聖地概要

  付録:仏教聖地概要 
 釈尊の足跡をしたって  仏教聖地の巡礼
(インド政府観光局発行 [Find what you seek Incredible India] より)

 天竺への憧れ 過去1500年のあいだ、日本人の宗教と日本文化の精神の中核となってきた仏教。その仏教の開祖である釈尊が、お生まれになり、悟りを開かれ、法を説かれ、入滅された地インドを、日本人は古くから「天竺」と遠く仰いできました。しかし、かつての遠い遥かな国「天竺」も、今はジェット機でわずか9時間あまり。釈尊の足跡をしのばせる数々の仏教聖地は、世界各国の巡礼客で賑わっています。
 釈尊の誕生 釈尊は、約2500年前、ヒマラヤの南麓を領していたシャカ族のスッドーダナ王(浄飯王)の長子として、ルンビニー園でお生まれになりました。王の都は、ネパール国境近くのカピラヴァストウにありました。
 出家と成道 29歳で出家した釈尊は、真の幸福と無情の知恵を求め、師を尋ねて当時の新興マガダ国の中心部に赴きました。 しかし、いずれの師の説にも満足できず、ブッダガヤ近くでの6年に及ぶ苦行も実りませんでした。そこで苦行を中止し、近くのナイランジャナ河(尼蓮禅河)で水浴し、植物を摂っで菩提樹下で禅定にはいり、まもなく無上の悟りを開かれ、ブッダ(覚者)となられたのです。
 説法 バラナシは当時から歴史の古い都で、さまざまな出家修行者の集まる最大の宗教センターでした。その北郊の鹿の園(鹿野苑:ロクヤオン、現在のサルナート)で、釈尊はお悟りになった無上の法を初めてお説きになりました。これが初転法輪で、仏教教団の始まりです。以来45年間、釈尊は、マガダ国の首都で霊鷲山や竹林精舎のあった王舎城(ラジギール)、コーサラ国の首都で祇園精舎のあった舎衛城(シュラヴァスティ)、リッチャヴィ族の首都ヴァイシャリ、ゴーシタ園のあったヴァツア国の首都カウシャンビーなど各地で、多くの人々に教化され、80歳でクシナガラの地で涅槃に入られました。
 入滅 釈尊は、侍者アーナンダ(阿難尊者)を伴って王舎城から最後の旅に出られました。その途上、ヴァイシャリで雨安居(ウアンゴ)を過ごされたとき、重い病にとりつかれましたが、おそらく郷里のカピラヴァストゥに向かって、旅を続けられました。しかし、マッラ族の都クシナガラの郊外にお着きになったとき、二本のサーラの樹(沙羅双樹)の間に横たわられ、ついにここで入滅されたのです。これを祠っだ塔(ストゥーパ)を各地に建てて釈尊を偲び敬いました。
仏教聖地 釈尊の生誕、成道、初転法輪、入滅の地を四大聖地、これに王舎城、舎衛城と祇園精舎、ヴァイシャリ、サンカシャを加えたものを八大聖地と呼んでいます。
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# by houro-ki | 2017-03-10 22:07 | 自選エッセイ集 | Trackback  

巡礼者同士の温かいつながり

報告―2  巡礼者同士の温かいつながり
 ブッダガヤの大菩提寺の石畳の上は各国から集まった巡礼者でラッシュアワーのプラットホームのようであった。が、運よく金剛法座(釈尊が座し悟りを開いたとする所)近くに座禅をする空間を見つけた。2人の同伴者と共に瞑想と般若心経、四弘誓願文を読誦し神妙な時間を過ごした。信仰心の未熟な私ですが、釈尊がすぐそばにおられるような神聖な雰囲気が感じ取れる不思議な場所であった。
 30分程経って、読誦の際にメガネを外し足元においた事をすっかり忘れ同伴者と共に席を立った。メガネは置き去りにされ、10分間ほど寂しく放浪をする羽目になってしまった。
 一方、私は瞑想場所から離れ少し歩んだところで、ハタ!と気が付いた。座っていた場所に戻り、キョロキョロしていた私を見た白い法衣のスリランカの巡礼の女性が手話で、「前の石柱の上に(目につきやすいように)置いたよ」教えてくれた。そこへ行くと、何もない。近くに座っていた人が、巡視員に託したと手話と英語で教えてくれて、左方面を示した。急いで進むと私のメガネを持った方がおられた。助かった。親切行為の3乗に巡り会った、これも何かのご縁、お蔭だ。釈尊を尊崇しながらの旅に、お土産まで付けていただいた気分である。(日本人的発想)。b0156451_19591922.jpgまた、仏法の教えるところの、正業(right-action,正しい行い)と、正定(concentration,正しい精神統一)の不足が露呈されたのだ。(仏典的発想)。

とにかく、せめて旅の間だけでも忘れないようにと、つぎの「三帰依」のパーリー語(以前瞑想道場で教わった)の旋律がよい呪文?を唱え続けるようにした。

 ブッダン サラナン ガッチャーミ  仏に帰依し奉る。
ダンマン サラナン ガッチャーミ  法に帰依し奉る。
 サンガン サラナン ガッチャーミ  僧に帰依し奉る。㊟
 ㊟:大乗仏教の観点からは、僧:サンガとは「衆生と僧の和合した一群、例えば、引率者を含めた巡礼者の塊」と解釈した方が本意に沿っていると言われている。
 写真は、「霊鷲山(リョウジュセン)」山頂付近の洞窟内で座る俗人






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# by houro-ki | 2017-03-05 11:14 | 自選エッセイ集 | Trackback  

報告―1  正覚の地、大菩提寺

報告―1  正覚の地、大菩提寺(マハーボーデイ寺院 ブッタガヤ)にて
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 ブッダガヤの大菩提寺(またはヒンディー教ではマハーボーディ寺院)はインド、ブッダガヤにある煉瓦構造の大塔である。ユネスコにより世界遺産に登録されている。釈迦牟尼が7年間、食事もとらず難行苦行に従事し、ついに肋骨が見えるほどになっても悟りは得られず、行の無意義を知った。 下山後、村長とその娘スジャータらの助けで、健康を回復した。近隣の菩提樹の林の中で瞑想7日、ついに大悟(正覚)した。35歳である。
その地に巨大な四角錐の大菩提寺が建立され、その寸法は高さ52m、底部一辺は15mである。内部には本尊釈尊で、の大塔の裏手には石柱で保護された巨大な菩提樹(釈尊時代から3代目の樹とも言われている)と金剛法座と言う瞑想空間がある。
 この正覚の現場と本堂を巡る石畳の回廊がある。スリランカ、タイ、ミヤンマーなどからの巡礼者が、静に押し寄せ満員状態であるけれど、右肩方向に崇拝対象を置きながらゆっくりと回遊している。幅が広くなった空間では、瞑想するグループ、経を読むグループと真摯な信仰の雰囲気に満たされている。我がグループでも、私と2人の希望者で石畳の隙間に座ることでき、30分程瞑想と般若心経読誦をさせていただいた。釈迦牟尼仏がすぐ近くにおられるような感覚にひたりながら…。
 このメモリアルポイントは、長らくヒンドゥー教の管理下にあり(仏教はヒンドゥー教の一派とみなされていた)、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒と政府要員による管理となった。さらに1992年には佐々井秀嶺師らが指導するインド新仏教派によるブッダガヤ奪還運動が行われ、近年では仏教徒のみによる管理へと移行しつつある。
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# by houro-ki | 2017-03-04 23:24 | 自選エッセイ集 | Trackback  

ツアー日程とルート

「仏陀の道」ツアーの日程とルート
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旅行期間:2017年02月05日(日)~18日(土) 14日間。主催 西遊旅行社

① 02月05日(日)
成田発 17 : 15 空路、東京より直行便にて  
デリー着 24:05 飛行時間 10時間20分  デリー泊

② 02月06日(月)デリー発 08:45  航空機にて、ヒンドゥー教の聖地 バラナシ着 10:15 
四大仏跡のひとつで釈尊の初転法輪の地サールナートを専用バスで訪問
(ダメーク・ストゥーパ、アショカ王の石柱、博物館等)。夜、ガンジス川の畔で行われるヒンドゥ一教の礼拝儀式プジャを観賞
                                             バラナシ泊
③ 02月07日(火)バラナシ11:00ーブッダガヤ18:00(専用バス) 
早朝、ヒンドゥー教徒が沐浴する ガンジス川をボートで遊覧。その 昼食後、ガンジス川近くの入り組んだ路地を散策しながらガート沿いの火葬場やヴィシュワナート寺院を見学。その後、専用バスにて、正覚・成道の地ブッダガヤへ。夜、ライトアップされたマハーボデイ寺院へ
                                          
④ 02月08日(水)ブッダガヤから専用バスで、ラシキール 専用バスで朝 ブッタガヤ観光(釈尊が悟り を開いた地マハーボデイ寺院、尼連禅川、乳粥供養を受けたスジャ一夕村等)。また、釈尊が6年間苦行をし、洞窟で過ごした前正覚山を訪問。午後、専用バスにて、釈尊時代のマガダ国の都ラジキールへ。

⑤ 02月09日(木)ラシキール(連泊)        
専用バスで午前、釈尊が晩年を過ごした聖山霊鷲山へ。頂上へは徒歩で登る(片道約30分)。その後、竹林精舎、温泉精舎を見学。午後は、玄奘三蔵も学んだナーランダ大学址を訪れます(大学跡・博物館)。

⑥ 02月10日(金)ラシキール 朝、専用バスにてヴァイシャーリ-へ。途中、第三結集の地クムラクムラハールパール(鶏園寺)、パトナの州立博物館を見学。
                                                   
⑦ 02月11日(土)ヴァイシャーリー、ケサリヤ、クシナガル
専用バスで、アショカ王の石柱や仏塔跡を見学。その後、世界最大といわれるケサリヤのストゥーパ(仏塔)を観光。その後、専用バスにて、入滅の地クシナガルヘ。
                                              クシナカ勹吋白
⑧ 02月12日(日)クシナガル (国境)ルンビニ 
専用バスで、午前、入滅の地クシナガル観光(大涅槃堂、釈尊が荼毘に付されたラーマーバル仏塔、最後の説法地跡等)。午後、専用バスにて沙羅双樹が茂る森林地帯を走り、国境を越え、ネパール領の釈尊の生誕地ルンビニヘ。

⑨ 02月13日(月)ルンビニ 
専用バスで、午前中、生誕の地ルンビニ園、カピラヴァストゥ城址(ネパール説)と推定されるティラウラコツトを見学。午後はゆっくり休養。

⑩ 02月14日(火)ルンビニ (国境越えネパールへ)  ピプラハワ  シュラヴァスティ(サヘート・マヘート)
専用バスで、 再びインドに戻り、カピラヴァストウ城址(インド説)と推定されるピプラハワを見学。その後、シュラヴァスティヘ。着後、祇園精舎(サヘート)、舎衛城跡(マヘート)を見学。       
                                             
⑪ 02月15日(水)シュラヴァスティ サンカーシャ  
専用バスで、釈尊の天界降臨伝説が残るサンカーシヤヘ。
                       
⑫ 02月16日(木)サンカーシャ アクラ 
専用バスで、朝、サンカーシヤを見学後、アクラへ。インドを代表する白亜の廟タージ・マハルを見学。
                                               
⑬ 02月17日(金)アクラ マトゥラー デリー
専用バスで、デリーへ戻る。途中、ガンダーラ美術とほぼ同時発祥したマトゥラー美術の秀作展示されるマトゥラー博物館を見学。後、空港へ。
 
⑭ 02月18日 (土) デリー発01:25  航空機にて帰国の途に。成田着12:45  飛行時間 7時間50分
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# by houro-ki | 2017-03-04 22:42 | 自選エッセイ集 | Trackback  

仏陀の道ー2017

    はじめに
今年、私は数えで80歳になった。おこがましいことでもあるが、釈尊が入滅された年齢でもあり、思うことがあった。
 「ブッダ最後の旅— 大パリニッバーナ経 --」(中村元訳、岩波書店)、「21世紀仏教への旅―インド編」(五木寛之、講談社)等々に依ると、ラジギールを出発した釈尊はナーランダを通ってパータリ村(現在のパトナ)を経て、ヴァイシャーリーに。その後クシナガルへと向かい、沙羅双樹の下に横たわり入滅されました。
私自身気力、体力も急速に低下しつつある中で、この釈尊の旅の一端でも早い時期に実感したいと言う思いが高まっていた。b0156451_23541796.jpg
 そういう中で、上述のコースを含む14日間の旅(約800kmを専用バスで)を西遊旅行社が企画していることを知り、絶好の機会と参加した(12名、うち男が9名)私が最高齢者で、時に皆さんに助けられながら、時には仏教談義を交わしながら、無事に、楽しみながら印象深い旅ができた。

写真:国際的に認定されている仏教のシンボルマーク「車輪」を連想させるホテル(サールナート)の門扉

(1) 「仏陀の道」ツアー日程 NEW 2017-03-04
(2) 「正覚の地、大菩提寺 NEW 2017-03-04
(3) 「巡礼者の温かいつながり NEW 2017-03-05
(0) 付録 仏教聖地概要 NEW 2017-03-10   





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# by houro-ki | 2017-03-01 23:55 | 自選エッセイ集 | Trackback  

志度寺の仁王(毎日新聞投稿)

    志度寺の仁王 (毎日新聞 岡山版掲載 2017-02-04)                    b0156451_23595346.jpg
 縁あって60歳代の7年間、香川県さぬき市に単身赴任した。約2キロの通勤路の大部分は遍路道であり、途中に四国八十八カ所の名刹、86番札所志度寺がある。
国の重要文化財の仁王門から大師堂、本堂、納経所を経て裏門に至るルートを徒歩で通っていた。
仁王門に立つ木造金剛力士像は鎌倉時代の仏師運慶(伝)の作で、数百年の風雨によく耐え損傷も少なく、県指定の重要文化財とされている。
 この門を通り抜ける際は、二体の仁王の目線が結ばれる位置に立ち神妙な心持で目礼することを習慣にしていた。
 怒りの表情をあらわにした阿形像、怒りを内に秘めた吽(うん)形像は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神とされている。庶民にとっては、なかなか拝顔できない本尊仏よりも親しみやすい身近な仏である。
 いつも門をくぐる際には、仁王さまに己の心中に巣食う欲望が暴れていないかにらみを利かされているように思われ、至極まじめに祈りの対象としてきた。
そんな心境でいたのだが、最近、吉沢靖著「江戸川柳の魅力」(真珠書院)で紹介された、「念力のたびに仁王はきたながり」を読んで仰天した。
 この句で描写している光景は、参詣者は紙切れを噛(か)んで「つぶて」とし、仁王に投げつけるのである。参詣者本人の疾患部と同じところにうまくくっつけば病は治るとされ、力を込めて投げつける。仁王は唾液で固めた「つぶて」を汚がっている、との解釈である。
 かつて各地の仁王門に立つ仁王は、この紙つぶての洗礼を受けていたようだ。
 川柳の作者は、仁王と参詣者を少し離れたところから観察し、仁王の口元が一瞬引きつったさまをズームアップ、江戸川柳の魅力である人間臭さとおかしさを仁王をまでも巻き込んでしまっている。
 が、しかし、平成の目で仁王の表情をつくづく観察してみると、恐い表情の裏に何か優しく、懐の広い面影が感じられる。それはきっと、病に苦しむ参詣者の気持ちに寄り添い、「つぶて」を忍耐強く受け止めている形相とも解釈できなくもない。 
 この川柳作家はそそっかしい江戸っ子を装ってはいるけれど、実は人間観察も鋭く、深い信仰心を持った古老ではないかと推察した。
 また、無粋な私見だが、現在、仁王像の立つ空間には金網が張り巡らされている。
これはハトが入らないようにしていると納得していたのだが、元は「つぶて」防止だったのかもしれない。
 運慶作と伝えられる志度寺の仁王が妙に懐かしいこの頃である。






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# by houro-ki | 2017-02-28 00:08 | 自選エッセイ集 | Trackback  

2017年1~12月 作品集

2017年 1~12月 作品集
志度寺の仁王 NEW 2017-02-27
仏陀の道-2017 NEW 2017-03-10

(1) 「仏陀の道」ツアー日程 NEW 2017-03-04
(2) 「正覚の地、大菩提寺 NEW 2017-03-04
(3) 「巡礼者の温かいつながり NEW 2017-03-05
(4) 王舎城、霊鷲山を訪ねて NEW 2017-03-12
(5) 涅槃像を拝観する NEW 2017-03-15
(番外) 付録 仏教聖地概要 NEW 2017-03-10

感動力は残っているか NEW 2017-04-07
点訳ボランティア活動紹介 NEW 2017-08-04
世相拝見ー20170925 NEW 2017-09-25

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# by houro-ki | 2017-02-27 22:39 | 自選エッセイ集 | Trackback  

黒部渓谷へ古老の足跡を求めて

  黒部渓谷へ古老の足跡を求めて
 2016年10月24日~27日、友人U 君と青年時代(22歳、s35)の白馬岳登山時の思い出のポイントを訪ねる旅をした。
  一日目:宇奈月から黒部渓谷トロッコ列車で欅平駅。名剣温泉宿泊。(1)参照
二日目:祖母谷(ババダニ)温泉宿訪問。宇奈月町、黒部川電気記念館見物。白馬村大雪渓周辺見物、アマックホテル泊
 三日目:信濃大町経由、黒4ダム、大観峰、立山室堂、美女平。千寿荘泊(富山市立山町)。
 四日目:富山駅経由、兼六園、21世紀美術館、町屋見物(金沢市)。岡山へ。
――――――――――――
 今秋の気候は例年より高めで、昼夜の温度差が少なく紅葉は今一つの状況でしたが、ほぼ好天に恵まれた旅となった。
 S35(1960)年5月pm8時、白馬岳山頂の山小屋直下の出来事である。U君と私は半ば氷結した小雪渓で滑落したにもかかわらず生還できた(その時の詳細は本ブログの「白馬岳登山ーー回想ーー」を参照ください)。その際の命の恩人ともいえる旧ババ谷温泉(1)の古老の消息を訪ねたい、可能ならば墓参りもと思っていた。
 が、旧ババ谷温泉の場所は雑草が生い茂り名残をとどめるものはなかった。
 しかし、私たちの事情を理解した、新ババ谷温泉の主人や、新名剣温泉の女主人が、写真や資料を出して黒部渓谷の開発、発展の変遷と体験談を親切に聞かせてくれた。
 そしてその話の節々に、あの古老のここでの生活の様子に思いを膨らませてくれるところもあった。彼の名は山本喜三郎氏で、富山営林署の治山事務所のメンバーとして、山小屋の他に山林、河川の管理も担当されていた。昭和41年ころ退職され、下流の町に住まいを移され、その後の情報はない。この地での民のナリワイの変遷は強烈な自然環境(大雪、洪水、土石流、急峻な地形、僻地)との共存の道を探る物語である。いただいた貴重な資料(2)、(3)を参考に紹介しよう。
 黒部川沿いの地域を奥山と言われている。江戸時代に越中国を治めていた加賀藩は奥山一帯に高温の泉源あること、森林資源が豊富なことは分かっていた、明治になると電源としての水力発電の可能性も浮上し、近代産業の導入で得た新技術と資本を活用して、従来難敵とされてきた自然環境問題を徐々に克服し、このへき地にも光がさしだした。
 特に開発に寄与した事柄は、①黒部川電源開発と共に始まった。大正12年から発電所建設のための資材、作業者を運ぶ黒部鉄道(超狭軌道トロッコ列車)用の敷設工事が始まり、昭和12年には欅平まで20.1kmが開通した。冬場の積雪対策として、軌道が露出される個所には作業者用トンネルが併設されている。
 昭和28年に地方鉄道法の認可を受けて、観光客のための旅客営業運転も開始された。深く険しい渓谷を縫うように走るスリリングな景観だ。②黒部8湯と言われ、高温の良質な泉源が黒部の僻地で発見されているが、交通事情が悪く、温泉経営から見ると、送湯事業と保守管理の難しさがネックになっていた。しかし、昭和30年代に引湯管は木製から合成樹脂管+保温管になり改良された。宇奈月温泉の生命線は7kmの引湯管と言われている。

 上述の強烈な自然環境と、日々正面から対峙したであろう古老に思いを馳せるとリアルな情景が映し出されてくる。忘却箱の底に沈みそうな事実を掘り起こして、再び感謝の念をいだかせてくれたのである。

(1)祖母(ババ)谷温泉:黒部渓谷の入り口、宇奈月より黒部川に沿って、トロッコ電車1時間15分(20.1km)で欅平。さらに祖母谷川に沿って、徒歩15分で名剣温泉、さらに徒歩35分で祖母谷温泉。ここから白馬岳登山道。
(2)宇奈月の温泉開発、平成11年、宇奈月町教育委員会編、宇奈月町歴史民俗資料館。
(3)トロッコに乗って―― 黒部渓谷2016ガイドブック
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# by houro-ki | 2016-11-15 23:41 | 自選エッセイ集 | Trackback  

法要騒動記

  
  「岡山県エッセイストクラブ」に入会して4年になる。個性的な人の集まりで、会の運営も難しそうだが、私は高齢者と言うことで、役を免除いただいている。が、ホームページメンテナンスに微力ながらお手伝いをしている。毎日新聞岡山版と山陽新聞、会の機関誌「位置」に発表の場がある。新聞に掲載の枠を確保されていることは会員にとって難関ではあるけれど幸いなことだ。私も数回掲載されたが、ブログ記載の作品をベースに校正したものである。以下の文も同様で、毎日新聞 2016-09-24に載ったものである。
b0156451_11313130.jpg 
   リレーエッセイ(テーマ:気配)
  法要騒動記                   岩城 嵩
 郷里和歌山に菩提寺がある。開祖の命日に合わせた法要開催の通知をいただいた。
「いつも欠席ではまずい」と数年ぶりに出かけた。参加者は30人ほどで、住職と若院(副住職)の人柄と信仰心が吸引力となって、檀家の信徒衆も仲良く寺の行事に関わり合っている。
当日の主役は、将来跡取りになるはずの3歳の坊やである。元気いっぱい、いたずら盛りで、客が大勢いるとさらにハッスルするようだ。
 第1部の読経では、住職と坊や(孫)の戦いであった。
住職は普段の法事では省略されがちな長い経を朗々と詠まれた。一同も共に読誦するが、多少遅れ気味になる。ましてや坊やは退屈で辛抱できない。
荘厳な雰囲気が崩れ始める。坊やは住職の横手にある木魚が気になって、叩きたくて手を延ばすと、住職の手が「すー」と伸びてきて邪魔される。僧衣の裾をいじると住職はそれを尻の下へ折り込む。おばあさんの坊守りは気が気でない。捕まえて別室へ連れていくが泣き叫ぶ。離すと、今度は本堂を走り回る。それを止めようとする若奥さんもほとほと困り果てている。
でも、何といっても、かわいい期待の坊やである。皆の困った顔の裏に、抑えきれない慈しみの表情が見て取れる。
 第2部の法話では、若院と坊やの親子対決となる。
説教の巧みな若院さんは、法話に登場する「無知な衆生」のたとえ話に、坊やを組み入れて、話を面白く盛り上げようとする。
一同も初めはほほえましい風景を楽しんでいたけれど、法話の肝心なところは坊やの雑音で聴きとれなくなった。多くの人は、気持ちがかき回されているように見えた。 
 第3部の談話会では、最初に若院さんは坊やの行為に対して、謝罪された後、将来を見据えて「息子ののしつけはどうあるべきか」を信徒に尋ねられた。
ある人は「もっと自由にさせてあげても良い、温かいまなざしで見守って上げよう」といい。ある人は「せっかくの法要を静かにおごそかにしてほしかった」といい、ある人は「信徒の意見もよいが、親が責任を持って…」などと、それぞれ意見を言った。

 坊やの走り回る音、泣き叫ぶ声、住職の読経の声、若院の法話の名調子、坊守の叱る声、木魚の音、鐘の音、一同の読経の声、笑い声、自説を述べる男の声、遠慮がちにしゃべる女の声、お茶をすする音、お接待のぜんざいを食べる音、などなど…。
さまざまな非日常的な音が心の中で残響し合っていた。その総合音は参加者一同の満足気で不快感のない安らいだ気配だ。
心地よい多様性に満ちた印象深い一日であった。
                ☆
いわき たかし   玉野市田井在住
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# by houro-ki | 2016-09-26 23:07 | 自選エッセイ集 | Trackback  

法要騒動記()

リレーエッセイ気配
法要騒動記                   岩城 嵩
郷里和歌山に菩提寺がある。開祖の命日に合わせた法要開催の通知をいただいた。
「いつも欠席ではまずい」と数年ぶりに出かけた。参加者は30人ほどで、住職と若院(副住職)の人柄と信仰心が吸引力となって、檀家の信徒衆も仲良く寺の行事に関わり合っている。
当日の主役は、将来跡取りになるはずの3歳の坊やである。元気いっぱい、いたずら盛りで、客が大勢いるとさらにハッスルするようだ。
第1部の読経では、住職と坊や(孫)の戦いであった。
住職は普段の法事では省略されがちな長い経を朗々と詠まれた。一同も共に読誦するが、多少遅れ気味になる。ましてや坊やは退屈で辛抱できない。
荘厳な雰囲気が崩れ始める。坊やは住職の横手にある木魚が気になって、叩きたくて手を延ばすと、住職の手が「すー」と伸びてきて邪魔される。僧衣の裾をいじると住職はそれを尻の下へ折り込む。おばあさんの坊守りは気が気でない。捕まえて別室へ連れていくが泣き叫ぶ。離すと、今度は本堂を走り回る。それを止めようとする若奥さんもほとほと困り果てている。
でも、何といっても、かわいい期待の坊やである。皆の困った顔の裏に、抑えきれない慈しみの表情が見て取れる。
第2部の法話では、若院と坊やの親子対決となる。
説教の巧みな若院さんは、法話に登場する「無知な衆生」のたとえ話に、坊やを組み入れて、話を面白く盛り上げようとする。
一同も初めはほほえましい風景を楽しんでいたけれど、法話の肝心なところは坊やの雑音で聴きとれなくなった。多くの人は、気持ちがかき回されているように見えた。 
第3部の談話会では、最初に若院さんは坊やの行為に対して、謝罪された後、将来を見据えて「息子ののしつけはどうあるべきか」を信徒に尋ねられた。
ある人は「もっと自由にさせてあげても良い、温かいまなざしで見守って上げよう」といい。ある人は「せっかくの法要を静かにおごそかにしてほしかった」といい、ある人は「信徒の意見もよいが、親が責任を持って…」などと、それぞれ意見を言った。
坊やの走り回る音、泣き叫ぶ声、住職の読経の声、若院の法話の名調子、坊守の叱る声、木魚の音、鐘の音、一同の読経の声、笑い声、自説を述べる男の声、遠慮がちにしゃべる女の声、お茶をすする音、お接待のぜんざいを食べる音、などなど…。
さまざまな非日常的な音が心の中で残響し合っていた。その総合音は参加者一同の満足気で不快感のない安らいだ気配だ。
心地よい多様性に満ちた印象深い一日であった。
                ☆
いわき たかし   玉野市田井在住
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# by houro-ki | 2016-09-26 23:03 | 自選エッセイ集 | Trackback  

白馬岳登山 --- 回想 ---

   白馬岳登山 --- 回想 ---
 今秋(2016年10月)の紅葉の盛りのころ、友人U 君と旅行を計画中である。それは富山県黒部渓谷と長野県白馬村方面で、二人が共有する過酷な冒険旅行の一端を追想できる巡礼地訪問になるはずだ。 
 ここでは、その昔話の部分の方をご披露したい。

 黒部渓谷欅平の婆々谷温泉は、今なお、秘境の名湯として知られているが、昭和35年ころはもっと昔風で質素であった。 谷筋にひっそりと一軒の民家風小屋があり、そこには人情味豊かな古老が、何でも一人で切盛りしながら、山案内や山小屋を生業として暮らしていた。 
 そのころ、二人は貧乏だが冒険好きの学生で、2,3の夏山登山の経験しかないのに、5月の連休を利用して、残雪を冠った白馬岳を黒部側から大糸線側に横断できないかと言う野心を持って、取りあえずこの山小屋に1泊することにした。
 普段着にジャンバー、リュックの中はシュラフと毛布、食糧少々、布製の運動靴姿のいで立である。現代感覚ではとても標高約3000mの雪深い北アルプス横断登山は困難と判断されるところを、かの古老は自分の若い頃の体力を我々も持っていると錯覚されたのか、装備をもう少し整え、知識を伝授すれば、天気予報も良好、横断可能と判断されたようだ。
 翌早朝、私たちは杖(先端には鉄製の剣先付で雪山用)、アイゼン、山の地図(30000分の1)、おにぎりを準備していただき、大先輩にお礼を述べ、教えられた道順に沿って登山開始した。
 積雪は標高に比例して増え、途中で4本のカニの足に似たアイゼンを装着すると、一歩一歩の埋没深さが浅くなり、格段に歩きやすくなった。積雪x mの尾根筋に出たのは午後2時位だった。
山頂方面に向かって歩んで行くと彼方に白馬山頂の山小屋が見えだした。安心するが雪に阻まれなかなか近付けない、おにぎりで空腹を解消して元気を取り戻し、猛進、努力するが、太陽が徐々に傾いてくる。
 日没時には、目視はできないが山小屋のほぼ真下のところまで来ているはずだ。
雪渓の近くは背の低いカラマツの樹林だ。月明かりに山の輪郭は黒く、面前に横たわる幅20m位の小雪渓の白い帯、それが大雪渓に連なる「くの字」のコーナーも黒をバックに灰色にくすんで見える。気温が下がってきたが、今朝からの過度な運動のおかげで寒さは感じない。
 山小屋への道は地図から判断すると雪渓の対岸に沿って登るようだ。雪渓横断では今までのサクサクの雪とは感触は異なり、半ば氷結しその下は氷なのだ。山側の手で杖を持ち、雪面を刺しながら慎重に歩く。前を歩くU君が突然姿を消した。抗いながらも50m程滑落して止まった。あわてた私は方向を下に一歩進めようとしたときに滑り転げ、仰向け状態で滑り出した。前方に見えていたコーナー部の岩塊が迫ってくる、無我夢中の私は素早くうつ伏せになり、杖を雪中に穿つことを試みるが杖はことごとく弾かれてしまう。私の頭は混乱した中で「火事場の馬鹿力」さながらにクールな対応がひらめいた。しばし無駄な抵抗を止め滑るに任せ、その間、両腕の脇を締め、全体重を載せた杖をへその下方に一気に穿った。成功である。なお、滑った距離は3~40mであった。両手の甲は雪との摩擦で裂傷していた。その後も二人は滑落しかけることもあったが、もはや対応能力があった。
 しかし、二人は急に気力と体力が萎えて、動くことが怖くなってきた。山小屋は諦めて、雪渓の横に広がるカラマツの密集帯にある狭い空間で、シュラフと毛布で身を覆い、全体をロープでカラマツの根っこに結んでビバーグすることにした。
 翌日は晴天であった。山小屋は直上にあった。山頂(2932m)に登ったのち、拾った板切れをスキー代りに大雪渓を白馬村に向けて快適に滑り下った。

 青年時代の無謀な冒険談と言えばそれまでだが、二人とも親からは「死に損ないのバカ息子」と、こっぴどく叱られたことも忘れられない。また、生還し、この歳まで無事に生き続けられたのも、あの杖のお蔭であり、それを準備してくれた欅平の山小屋の古老の適格なご配慮のお蔭である。帰郷直後お礼の手紙などを出した記憶があるが、今改めて命の恩人としてご老人の消息を尋ね、出来たら墓前に花を捧げ感謝を述べる機会を得たいものだと思っている。
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# by houro-ki | 2016-07-26 13:06 | 自選エッセイ集 | Trackback  

注釈と参考文献

 注釈:
 パーリ語(古代インド語のサンスクリプト語の聖典用の言葉)でゴエンカ氏が詠む経典(録音版)が流れる。日本語の読経と比べると、リズムや音階が時に早く、時にゆっくりと変化して、韻を踏んだ詩の歌唱のようで気持ちの良いものだ。
 ホールの上座に置かれたソファーにゆったりと座られたインド人の老女師が指導者である。2人のベテランの日本人(コース・マネージャー)がサポートする形式で、主として録音されたパーリ語の読経、朗読が、英語、日本語の順で通訳され、「ゴエンカ氏のヴィパッサーナ瞑想法」の特訓が入門編から中級編位まで10日間にわたって繰返し叩き込まれる。

 参考文献:
(1)ゴエンカ氏のヴィパッサーナ瞑想入門、ウィリアム ハート、1999、春秋社
(2)マインドフルネス最前線、香山リカ、2015、サンガ
(3)瞑想、日経サイエンス、2015-01

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# by houro-ki | 2016-06-08 10:24 | 自選エッセイ集 | Trackback  

肉体年齢と精神年齢

    肉体年齢と精神年齢(余談)
 初日、沈黙開始前のことである。初対面の同室の人達と雑談で、私は「78歳」と言ったら、即座にイギリス人の若者が英語で「15歳ですか!」と叫んだ。どうして言ったのか、何と返答してよいのか?と もぞもぞしているうちに「聖なる沈黙」に入ってしまった。
 
長い瞑想の時間帯には、絶え間なく雑念が侵入して妄想、迷想に切り替わり、「どうして15歳なのか」の疑問で心は一杯になる。
 考えあぐねているとひらめいた。“7∔8=15”の算数問題に切り替えたトンチだ、さらに意味するところは「精神年齢15歳」と言うことではなかろうか。さすがだ、「ポケットにジョークを」とはイギリス紳士のたしなみと聞くが彼も若くして携えている。
 しかし、よく考えてみると、「老人を馬鹿にしただけではないか」と怒りそうになったが、それではここに来た甲斐がないと言うものだ。時間は十分ある、こんな単純な解釈では不十分だ、その謎に挑戦しなければならないと、再度の迷想が始まった。
 
 長考の末の結論は、「仮に私の寿命が80歳とすれば、肉体年齢でみると、残された時間はわずか1.5年だが、精神年齢でみると65年である。悟りに向かってゆったりした瞑想時間が豊かに残されている」と言うことだ。 そして、心が平穏になり、正しい瞑想状態に移行していった。  感謝しなければならない。

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# by houro-ki | 2016-06-08 10:11 | 自選エッセイ集 | Trackback  

 ゴエンカ氏のヴィパッサーナ瞑想法

 (3)ゴエンカ氏のヴィパッサーナ瞑想法
 本瞑想法はお釈迦様が悟りに至る手段とした瞑想法と言われている。仏教(上座)から宗教的色彩を取り除いた、人間完成法であると言えよう。

まず、背筋を伸ばして安定した姿勢で座り、目を閉じる。
① 平静な心を保ち。
② 自分の呼吸に伴う空気の流れに注意しつつ、注目する身体の部分(鼻先、頭頂など)を一つ選び、意識をそこに集中させる。
③集中度があがると、その点が暖かくなったことを自覚でき、ホットスポットと名付ける。
④集中がそれると、呼吸を強めて戻す。
⑤ホットスポットに感情や思考を移さずに、ただ観察(洞察:パーリ語ではヴィパッサーナ、
「真理の実体験」とも言われている)に徹することに留意する。
⑥スポットを頭頂から足先まで、あらゆる表面をサーベイしてゆく。

 最初は瞑想状態に導くコツがつかめずに、夢想に無意識の内に変わったり、眠気に負けて指導員に肩をつつかれたりと苦労した。3日目くらいになると、呼吸とのタイミングも分かりだして、精神集中が徐々にできるようになる。リラックスしながら、心を研ぎ澄まし、少し離れたところから自分を観察する(かつて経験したことのない)気分になる。後に爽快感が残りこの瞑想法の長所が一部ではあるが理解できた。

 6日目は16時までは瞑想状態に全く入れず苦しんでいたが、右脳(本来は実感しやすい身体の表面が対象だが私が誤って・・・)周辺をホットスポットでサーベイしているとき、突然すごい経験をすることになった。たとえて言うと、法華経の「火宅の比喩」さながらの大騒動の光景に心が変容した。瞑想から覚めて、ゆっくりと出来事を反芻している妄想状態の中で誰かが「それは内観が正しく作用している証だ」と、ささやいてくれた、私は涙を出して納得してしまったのである(私はこれほど単純な人間なのかもしれない)。
 7日目の瞑想でも、この事件は再現できたが、それは「心の片隅の小さな事件であり、それを私はクールな目で遠方から眺めていた。

 8日目位から、瞑想訓練は次の段階に入った。私の現在のレベルでは、講話も実践もほとんどついていけない苦しい日々になってしまった。理解できないが話の筋道は以下のようである(指導者に質問すると、「1週間で会得する人もいるが、5年かかる人もいる」とのことだ。お釈迦さまでさえ、難行苦行の末に、菩提樹の下で7週間の瞑想を経て、真の悟りを開かれた。いわんや煩悩の権化の身では、その一カケラだけでもと考える事さえド厚かましい思念だ)。
①瞑想を繰り返す中で、他とは異なる粗い感覚を経験する部位に遭遇する。
②感覚が絶えず変化する事に気づく。
③確固たるものは何もない、「無常」であることを実感する。
④その対処法は平静な心を持って一瞬一瞬を生きることだ。
⑤すると、すべての苦悩から解放される・・・。

 さて、私にはこの未踏の段階で歩を進めることは心もとない限りである。
 しかし、従来、あれこれ心配し、くよくよ考え続けることで消耗しそうな心を、仏典や関連書籍を「読む行為」や、遍路、巡礼などの「体を動かす行為」で、コントロールしようとしてきたが、瞑想とは「心に直接働きかける行為」と位置付けられるものであることが分かった。

 帰宅して、1週間は浦島太郎状態だったが、その後回復して毎朝1時間の瞑想を楽しんでいる。少なくとも集中力の涵養はボケ防止にも有効だと確信して、続けていきたいと考えている。

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# by houro-ki | 2016-06-08 09:56 | 自選エッセイ集 | Trackback