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私の放屁論

  私の放屁論
 花のお江戸で、世間を欺く「奇人」「変人」、私利私欲にはしる「ペテン師」などと有り難くない悪名を山ほどいただき、安永8年(1779)獄中で病死した男がいた。その名は、江戸のアウトロー・天才 平賀源内である。(肖像画参照)私の放屁論_b0156451_1120938.jpg 阿刀田 高 の「ユーモア革命(文春文庫)」に源内の「放屁論」が載っていました。本日はこれをベースにした、創作小咄をご披露したくよろしくお願いいたします。

放屁の「ひ」は「へ」ですよね。広辞苑では「呑み込んだ空気や、腸の内容物の発酵によって発生したガスが排出されたもの」となっています。またこれに「はなつ という 放」の字をつけることによって、放屁に ダイナミックで溌剌とした意味合いが生まれてくると思われませんか。
並々ならぬ修練によって、へ の音程、音階、強弱の調整が自由自在に操れるようになると、もはや 楽器として、まことに人間的な親しみのある音色で気持ちの赴くままに、あるときは力強く、またときには悲哀を帯びてを歌い上げ、そして最早あの嫌われていた「匂い」は、優雅な「香り」に変身すると言われています。
前口上はこのくらいにして、本題「放屁論」に入りましょう。

これは安永年間、源内が長崎出島のオランダ商会で外国事情研修後の帰り道中でのことでございます。 岡山城下 鶴見橋付近で おならの曲芸を演ずる芸人が現われて大評判となったのを 源内が小耳に挟んだことから話が始まります。その男の芸名は曲屁、本名は中ノ島の平助と言う、当時の世人には奇妙奇天烈とうわさの高い男です。 (写真:後楽園から見た鶴見橋)私の放屁論_b0156451_11204821.jpg
川原に立てた粗末な芝居小屋の舞台の上で、おならを巧みに操り、
犬の遠吠え:ウオー ウオー 
水車の音:がらがらごっとん がーらがらー
三味線の音色:チントンシャン テレトテチン
鶏の鳴き声:コケコッコー コーコーコー ポン
最近では、パトカーのサイレン:ピーポー ピーポー 
それに、ベートーベン第五:ブブブ ブー ブー  ブーー
までも、真似てしまう。

好奇心旺盛な平賀源内は わざわざ見物に立ち寄り、       
「このような珍芸は、唐土(もろこし)をはじめ天竺(てんじく)阿蘭陀(オランダ)にもありますまい」 と感心したところ、
これを聞いた無粋な田舎者の岡山藩士 玉野 岩の丞 が 青筋立てて怒り出し、「これは苦々しいことを源内殿もおっしゃる。芝居見世物のたぐいといえども 芸道は忠義貞節の道を教えるものでなければなるまい。おならなどというものは、そもそも人の前で鳴らすものではない。もし人前で粗相をすれば、武士ならば切腹。遊女でさえも自害をしたという。それを人前で鳴らして金を儲けるとは不届き千万。それを絶賛する源内は大ばか者も甚だしい」と、ののしった。
 
天才奇才の独創者 源内は 名調子で これに反論し一蹴したのは言う間でもない。・・・
「あなたのおっしゃることば一応もっともだ。おならというものは、
音があるとはいえ 太鼓や鼓のように聴くこともできない、
匂いはあっても 窮香(じゃこう)のように用いることもできない、
さりとて糞尿のように 肥料に役立てることもできない。
これほど徹頭徹尾 役に立たないものを、この芸人:曲屁、本名 中ノ島の平助とやらは 長年にわたってこの道一筋に研究し鍛錬して、まわりの小屋が及びもつかないほどの大盛況とした。 
これに引きかえ、
近ごろの学者は 海の向こうの研究の、二番煎じに明け暮れ。
文章家も歌人も 花鳥風月を忘れ、古人と渡来の物真似ばかり。
医者は 無駄な検査ばかりして、はやり風邪一つ治すことができない。
俳人は 芭蕉のよだれをなめ。
柳人は 粋と人情を忘れ。
茶人は 利休の糞をなめるよりほかに能がない。
みんな古人、渡来の物真似ばかりして、その水準を抜くことができないのは、脳味噌を使わないからだ。ところがこの芸人は、世の中に先立ってだれも見向きもしなかった おならで曲屁の芸を発案したのであって、この心をあなどってはいけない。」

源内の名演説のボルテージはさらに上がり、
「我もまたこの芸に会って思い至った。「心を用いて修行すれば屁さえも かくのごとし」だ。もしこの世に賢人あり、 この屁のごとく工夫をこらし、天下の人々を救いたまわば、その功は 計り知れないほど大きいものに違いあるまい。私の放屁論_b0156451_11213728.jpg
ああ済世に志す人よ、あるいは諸芸を学ぶ人よ、一心に務めれば天下に名を成すこと、屁よりもまた 華々しいこと明らかなり。
我は この曲屁の音を借りて 自暴自棄、未熟、怠慢の人々のねむりを 覚まさんがためなりと、言うもまた理屈くさい。田舎武士よ、屁理屈と言わば言え。我もまた屁とも思わず。」

 いやー、すばらしい、拍手喝采、良くぞ言ってくれた源内さん。進歩と独創をいみきらう封建時代の風潮が、源内の才能を十分に評価することができなかったのですね。
ユーモアとウイットがほどよく発露され、現代にも通じる社会評論、教養の香り高いクラシックだと思われませんか。・・・と私は源内の出生地、香川県志度に7年間住み、かすかに薫陶を得たことを誇りとしているのでございます。
不謹慎の面がありましたなら、70を越した妄想老人に免じてお許しください。

by houro-ki | 2008-08-24 01:56 | 漫筆  

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