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豊島の現代アートと産廃処理問題

   豊島の現代アートと産廃処理問題
 20013-07 瀬戸内国際芸術祭-夏の部が始まった。島々に配置された現代アートを巡る旅! 真夏日が続いている中、私は豊島を訪ねた。名のとおりの自然豊かな、のどかな風景が広がり、著名なアーティスト達の作品が自然の中で生き生きと輝いていた。
 ある集落でアイスクリームを買いに入った八百屋のおばさんに、「豊島産廃問題は今から見るといかがでしたか」と尋ねると、「あの頃は本当に大変だった。特に県議選がすごかった」、「あなたも外から見守ってくれていた一人なのね。」、「中坊さんのお陰です。亡くなられて残念です。きれいになった海と島の今を見てほしかった。」などといわれた。 あの25年にも及んだ全島民が命運をかけた闘争が、徐々に人々の記憶から遠ざかり、怒りから懐かしさに転移して、静かに眠っているようだ。豊島の現代アートと産廃処理問題_b0156451_2237222.jpg
 港の交流会館の人に尋ねると、やっとその残滓のありかを教えてくれた。 館内の立ち入り禁止の階段に沿う壁に、ほこりをかぶった何枚かの額に入った写真と、掘削検査時の標本があった。大きく引き伸ばされた写真は、2000年6月6日、豊島小学校の体育館での情景だ。 「豊島公害問題調停委員会」の調停成立式典後の、真鍋香川県知事と安岐住民会議議長が喜びに満ちて握手している、背後のひな壇には住民側、県側の代表者、それに弁護団長の中坊公平氏らがこぞって拍手を送っている(写真)。会場全体が、島民の歓声で満ち溢れていることが実感できる。これを見て、私も小さな思い出の数々が走馬灯のように心を過ぎった。

1960年代: 私はM造船の研究所の若手の一人であった。毎夏、恒例になっている「豊島の海水浴」。海辺の宿で、研究室全員が家族もつれて遊んだ。夜はSさんが知り合いの漁師から仕入れてきた沢山の魚を焼きながら酒盛りと談笑。砂浜の上に立てられた桟敷小屋で、身近に寄せる波音を枕に寝たこと。室長のSさんが、まだ泳げない息子を海中に投げ込んで、スパルタ式特訓をしていたこと・・・。   高度成長期初期の楽しかった一コマ。

1998年頃: 私がさぬき市のT大学に赴任した年だ(60歳)。授業や卒研で忙しい日々だったが、高松で開かれた中坊公平氏の「豊島産業廃棄物不法投棄問題―講演会」を聞く機会があった。それまでは断片的な知識でしかなかった事が、じつは大変な事件であり、住民側にはとても勝ち目のない闘争を、大真面目に真正面から仕掛けていることを理解した。その後、島民による「住民説明会」がさぬき市にも来て、私も会場の隅で拝聴したが、緒に着いたばかりの仕事にかこつけて、横目観察者を決め込んでいた。

2000-6-6: 私は夜のテレビニュースで豊島産廃闘争の和解成立を知った。そして上記の調印後、高松に帰る船上で手を振る眞鍋知事に、家浦港の岸壁から返礼の手を振る中坊氏他弁護士団、住民の姿が放映された。この純情ドラマのようなに結末の光景に、私は涙して見入ったことを鮮明に思い出す。

2010年、社会派の友人A氏の来岡に際して、豊島産廃処理場を案内した。家浦港には、あらかじめ依頼していた石井亭香川県議(本事件の解決に住民側代表として大活躍した方)が出迎えていただき、懇切な説明を受けながら見学した。
60万トン以上の産業廃棄物の投棄現場を掘り返して、排出物を島外へ運び、その跡地を無害化する事業である。それは、(1)地下水漏出防止措置(長さ350m、深さ18mの壁と汚染水くみ上げ装置)。(2)汚染水の浄化装置。(3)廃棄物搬出施設であった(なお、排出物の島外搬出には、コンテナダンプトラック用フェリー<船名“太陽”を建造し、排出物の中間処理には隣島の直島の三菱マテリアル㈱の工場内にプラント建設する)。  であった。 
島民や弁護士団25年間の懸命な反対運動の中で、産廃処理手続を誤った近県に散在する「企業」、それらの処理を請け負った悪徳業者の「豊島総合観光開発㈱」、不法廃棄を黙認し、正当化しようとした「香川県(前川<~86>、平井<86~98>、真鍋<98~>の各知事)」は、国の介入(中坊氏らの助言により、菅直人厚生大臣、橋本龍太郎首相らは税金投入を決断)によって、事実を認め、調停を受け入れ和解に至った。膨大な無価値のゴミの山を処理するために、経済原理を無視した、実に膨大な授業料(税金)を払った大バカ事件(事業費は千億円規模だろう)であった。

詳細は 「豊島産業廃棄物不法投棄事件(巨大な壁に挑んだ25年のたたかい) 2001 大川真郎 日本評論社」を参考いただきたい。
著者は弁護士団の代表の一人であり、県側が己の瑕疵(かし)をいかに不瑕疵と言いくるめようとしたかが、詳述されていて興味深い。

現在: 豊島側施設は太陽の明るい日差しをイメージした赤、直島側施設は美しい海の広がりをイメージした青が基本カラーとされた外観であり、島と島とを結ぶ輸送船には、働きもののミツバチがあしらわれている。 美しい島、県と島の心の通った共同事業であることを“強調“している。
「馬子にも衣装」ならぬ、「ゴミにもアート」で瀬戸内国際芸術祭の一作品といえるかもしれない。
また、「豊島産業廃棄物」を「福島原発放射能廃棄物」と置き換えて考えてみると奇妙な一致が随所に見出すことができる。

by houro-ki | 2013-07-25 22:57 | 自選エッセイ集  

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