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報告―1  正覚の地、大菩提寺

報告―1  正覚の地、大菩提寺(マハーボーデイ寺院 ブッタガヤ)にて
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 ブッダガヤの大菩提寺(またはヒンディー教ではマハーボーディ寺院)はインド、ブッダガヤにある煉瓦構造の大塔である。ユネスコにより世界遺産に登録されている。釈迦牟尼が7年間、食事もとらず難行苦行に従事し、ついに肋骨が見えるほどになっても悟りは得られず、行の無意義を知った。 下山後、村長とその娘スジャータらの助けで、健康を回復した。近隣の菩提樹の林の中で瞑想7日、ついに大悟(正覚)した。35歳である。
その地に巨大な四角錐の大菩提寺が建立され、その寸法は高さ52m、底部一辺は15mである。内部には本尊釈尊で、の大塔の裏手には石柱で保護された巨大な菩提樹(釈尊時代から3代目の樹とも言われている)と金剛法座と言う瞑想空間がある。
 この正覚の現場と本堂を巡る石畳の回廊がある。スリランカ、タイ、ミヤンマーなどからの巡礼者が、静に押し寄せ満員状態であるけれど、右肩方向に崇拝対象を置きながらゆっくりと回遊している。幅が広くなった空間では、瞑想するグループ、経を読むグループと真摯な信仰の雰囲気に満たされている。我がグループでも、私と2人の希望者で石畳の隙間に座ることでき、30分程瞑想と般若心経読誦をさせていただいた。釈迦牟尼仏がすぐ近くにおられるような感覚にひたりながら…。
 このメモリアルポイントは、長らくヒンドゥー教の管理下にあり(仏教はヒンドゥー教の一派とみなされていた)、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒と政府要員による管理となった。さらに1992年には佐々井秀嶺師らが指導するインド新仏教派によるブッダガヤ奪還運動が行われ、近年では仏教徒のみによる管理へと移行しつつある。

# by houro-ki | 2017-03-04 23:24 | 自選エッセイ集  

ツアー日程とルート

「仏陀の道」ツアーの日程とルート
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旅行期間:2017年02月05日(日)~18日(土) 14日間。主催 西遊旅行社

① 02月05日(日)
成田発 17 : 15 空路、東京より直行便にて  
デリー着 24:05 飛行時間 10時間20分  デリー泊

② 02月06日(月)デリー発 08:45  航空機にて、ヒンドゥー教の聖地 バラナシ着 10:15 
四大仏跡のひとつで釈尊の初転法輪の地サールナートを専用バスで訪問
(ダメーク・ストゥーパ、アショカ王の石柱、博物館等)。夜、ガンジス川の畔で行われるヒンドゥ一教の礼拝儀式プジャを観賞
                                             バラナシ泊
③ 02月07日(火)バラナシ11:00ーブッダガヤ18:00(専用バス) 
早朝、ヒンドゥー教徒が沐浴する ガンジス川をボートで遊覧。その 昼食後、ガンジス川近くの入り組んだ路地を散策しながらガート沿いの火葬場やヴィシュワナート寺院を見学。その後、専用バスにて、正覚・成道の地ブッダガヤへ。夜、ライトアップされたマハーボデイ寺院へ
                                          
④ 02月08日(水)ブッダガヤから専用バスで、ラシキール 専用バスで朝 ブッタガヤ観光(釈尊が悟り を開いた地マハーボデイ寺院、尼連禅川、乳粥供養を受けたスジャ一夕村等)。また、釈尊が6年間苦行をし、洞窟で過ごした前正覚山を訪問。午後、専用バスにて、釈尊時代のマガダ国の都ラジキールへ。

⑤ 02月09日(木)ラシキール(連泊)        
専用バスで午前、釈尊が晩年を過ごした聖山霊鷲山へ。頂上へは徒歩で登る(片道約30分)。その後、竹林精舎、温泉精舎を見学。午後は、玄奘三蔵も学んだナーランダ大学址を訪れます(大学跡・博物館)。

⑥ 02月10日(金)ラシキール 朝、専用バスにてヴァイシャーリ-へ。途中、第三結集の地クムラクムラハールパール(鶏園寺)、パトナの州立博物館を見学。
                                                   
⑦ 02月11日(土)ヴァイシャーリー、ケサリヤ、クシナガル
専用バスで、アショカ王の石柱や仏塔跡を見学。その後、世界最大といわれるケサリヤのストゥーパ(仏塔)を観光。その後、専用バスにて、入滅の地クシナガルヘ。
                                              クシナカ勹吋白
⑧ 02月12日(日)クシナガル (国境)ルンビニ 
専用バスで、午前、入滅の地クシナガル観光(大涅槃堂、釈尊が荼毘に付されたラーマーバル仏塔、最後の説法地跡等)。午後、専用バスにて沙羅双樹が茂る森林地帯を走り、国境を越え、ネパール領の釈尊の生誕地ルンビニヘ。

⑨ 02月13日(月)ルンビニ 
専用バスで、午前中、生誕の地ルンビニ園、カピラヴァストゥ城址(ネパール説)と推定されるティラウラコツトを見学。午後はゆっくり休養。

⑩ 02月14日(火)ルンビニ (国境越えネパールへ)  ピプラハワ  シュラヴァスティ(サヘート・マヘート)
専用バスで、 再びインドに戻り、カピラヴァストウ城址(インド説)と推定されるピプラハワを見学。その後、シュラヴァスティヘ。着後、祇園精舎(サヘート)、舎衛城跡(マヘート)を見学。       
                                             
⑪ 02月15日(水)シュラヴァスティ サンカーシャ  
専用バスで、釈尊の天界降臨伝説が残るサンカーシヤヘ。
                       
⑫ 02月16日(木)サンカーシャ アクラ 
専用バスで、朝、サンカーシヤを見学後、アクラへ。インドを代表する白亜の廟タージ・マハルを見学。
                                               
⑬ 02月17日(金)アクラ マトゥラー デリー
専用バスで、デリーへ戻る。途中、ガンダーラ美術とほぼ同時発祥したマトゥラー美術の秀作展示されるマトゥラー博物館を見学。後、空港へ。
 
⑭ 02月18日 (土) デリー発01:25  航空機にて帰国の途に。成田着12:45  飛行時間 7時間50分

# by houro-ki | 2017-03-04 22:42 | 自選エッセイ集  

仏陀の道ー2017

    はじめに
今年、私は数えで80歳になった。おこがましいことでもあるが、釈尊が入滅された年齢でもあり、思うことがあった。
 「ブッダ最後の旅— 大パリニッバーナ経 --」(中村元訳、岩波書店)、「21世紀仏教への旅―インド編」(五木寛之、講談社)等々に依ると、ラジギールを出発した釈尊はナーランダを通ってパータリ村(現在のパトナ)を経て、ヴァイシャーリーに。その後クシナガルへと向かい、沙羅双樹の下に横たわり入滅されました。
私自身気力、体力も急速に低下しつつある中で、この釈尊の旅の一端でも早い時期に実感したいと言う思いが高まっていた。仏陀の道ー2017_b0156451_23541796.jpg
 そういう中で、上述のコースを含む14日間の旅(約800kmを専用バスで)を西遊旅行社が企画していることを知り、絶好の機会と参加した(12名、うち男が9名)私が最高齢者で、時に皆さんに助けられながら、時には仏教談義を交わしながら、無事に、楽しみながら印象深い旅ができた。

写真:国際的に認定されている仏教のシンボルマーク「車輪」を連想させるホテル(サールナート)の門扉

(1) 「仏陀の道」ツアー日程 NEW 2017-03-04
(2) 「正覚の地、大菩提寺 NEW 2017-03-04
(3) 「巡礼者の温かいつながり NEW 2017-03-05
(0) 付録 仏教聖地概要 NEW 2017-03-10   





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# by houro-ki | 2017-03-01 23:55 | 自選エッセイ集  

志度寺の仁王(毎日新聞投稿)

    志度寺の仁王 (毎日新聞 岡山版掲載 2017-02-04)                    志度寺の仁王(毎日新聞投稿)_b0156451_23595346.jpg
 縁あって60歳代の7年間、香川県さぬき市に単身赴任した。約2キロの通勤路の大部分は遍路道であり、途中に四国八十八カ所の名刹、86番札所志度寺がある。
国の重要文化財の仁王門から大師堂、本堂、納経所を経て裏門に至るルートを徒歩で通っていた。
仁王門に立つ木造金剛力士像は鎌倉時代の仏師運慶(伝)の作で、数百年の風雨によく耐え損傷も少なく、県指定の重要文化財とされている。
 この門を通り抜ける際は、二体の仁王の目線が結ばれる位置に立ち神妙な心持で目礼することを習慣にしていた。
 怒りの表情をあらわにした阿形像、怒りを内に秘めた吽(うん)形像は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神とされている。庶民にとっては、なかなか拝顔できない本尊仏よりも親しみやすい身近な仏である。
 いつも門をくぐる際には、仁王さまに己の心中に巣食う欲望が暴れていないかにらみを利かされているように思われ、至極まじめに祈りの対象としてきた。
そんな心境でいたのだが、最近、吉沢靖著「江戸川柳の魅力」(真珠書院)で紹介された、「念力のたびに仁王はきたながり」を読んで仰天した。
 この句で描写している光景は、参詣者は紙切れを噛(か)んで「つぶて」とし、仁王に投げつけるのである。参詣者本人の疾患部と同じところにうまくくっつけば病は治るとされ、力を込めて投げつける。仁王は唾液で固めた「つぶて」を汚がっている、との解釈である。
 かつて各地の仁王門に立つ仁王は、この紙つぶての洗礼を受けていたようだ。
 川柳の作者は、仁王と参詣者を少し離れたところから観察し、仁王の口元が一瞬引きつったさまをズームアップ、江戸川柳の魅力である人間臭さとおかしさを仁王をまでも巻き込んでしまっている。
 が、しかし、平成の目で仁王の表情をつくづく観察してみると、恐い表情の裏に何か優しく、懐の広い面影が感じられる。それはきっと、病に苦しむ参詣者の気持ちに寄り添い、「つぶて」を忍耐強く受け止めている形相とも解釈できなくもない。 
 この川柳作家はそそっかしい江戸っ子を装ってはいるけれど、実は人間観察も鋭く、深い信仰心を持った古老ではないかと推察した。
 また、無粋な私見だが、現在、仁王像の立つ空間には金網が張り巡らされている。
これはハトが入らないようにしていると納得していたのだが、元は「つぶて」防止だったのかもしれない。
 運慶作と伝えられる志度寺の仁王が妙に懐かしいこの頃である。






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# by houro-ki | 2017-02-28 00:08 | 自選エッセイ集  

2017年1~12月 作品集

2017年 1~12月 作品集
志度寺の仁王 NEW 2017-02-27
仏陀の道-2017 NEW 2017-03-10

(1) 「仏陀の道」ツアー日程 NEW 2017-03-04
(2) 「正覚の地、大菩提寺 NEW 2017-03-04
(3) 「巡礼者の温かいつながり NEW 2017-03-05
(4) 王舎城、霊鷲山を訪ねて NEW 2017-03-12
(5) 涅槃像を拝観する NEW 2017-03-15
(番外) 付録 仏教聖地概要 NEW 2017-03-10

感動力は残っているか NEW 2017-04-07
点訳ボランティア活動紹介 NEW 2017-08-04
世相拝見ー20170925 NEW 2017-09-25

# by houro-ki | 2017-02-27 22:39 | 自選エッセイ集